教授ブログ「まなぶろぐ」

琉球大学医学部麻酔科学教室 教授:垣花 学(かきのはな まなぶ)のブログです。

医師と患者との契約について

2017-11-26

 今年の日本臨床麻酔学会(東京)の中で、専門医共通講習のひとつである「医療安全」の座長をさせて頂きました。その際に、「医師」と「患者」との契約というのが、「準委任契約」であるということを知りました。そもそも「準委任契約」というものがどういうものかわからなかったので調べてみました。例えば、請負契約というものがありますが、これは請負人が負う義務は「仕事の完成」です。したがって、仕事が完成しなかった場合には債務不履行ということで損害賠償請求の対象となります。一方、「準委任契約」では、受任者が負う義務は「善良な管理者の注意を持ってその業務にあたること」だそうです。例えば、患者さんは病気を治してほしいということで受診しますが、もし仮に患者さんと医師の契約が請負契約だと、「仕事の完成」つまり「病気を治すこと」が出来なかった場合には損害賠償請求されます。実際には全ての患者が完治することはありませんが医師が損害賠償請求を求められないのは、請負契約ではないからです。では、「準委任契約」に負われている「善良な管理者の注意を持ってその業務にあたること」とはどういうことでしょう。これは善管注意義務ともいわれていることで「普通に要求される注意義務」ということのようです。つまり、医師とっての「普通に要求される注意義務」ということです。麻酔科的業務で「普通に要求される注意義務」とは何でしょうか?例えば、術前回診では既往歴、身体所見、検査値の把握ということになります。既往歴で脳梗塞があった場合、術前の症状の把握や神経学的所見も麻酔科医の「普通に要求される注意義務」に当たると思います。麻酔管理中はあまりにもたくさんの注意することがあります。例えば、病棟で確保された点滴ラインが漏れていないか? 投与薬物とその投与量(稀釈濃度)の確認、気管挿管確認事項として胸郭の動き・チューブの曇り・EtCO2・呼吸音聴診、術中体位による神経圧迫の有無の確認、抜管前の自発呼吸(換気量、回数)・意識の有無・指示動作可能か・反射があるか、抜管後の呼吸状態など、多くのことを注意しなければなりません。さらに、その証拠としてそれらの所見を麻酔チャートに残すということも重要なことです。これらの記載が無い場合には、注意義務がなされていないと判断されます。
 そして、私たちが気をつけなければならないことのひとつに、薬物の適正使用です。適応外使用や禁忌症例への使用は「普通に要求される注意義務」違反になるかもしれません。つまり、添付文書の内容を把握することは私たちの「普通に要求される注意義務」であり、適応外使用や禁忌症例への使用は「普通に要求される注意義務」違反となるかもしれません。
 今回の講習を聴いて、ふとこんなことを思ってしまいました。

米国式臨床研究と地方大学式臨床研究

2017-10-29

歴史ある米国麻酔学会、いわゆるASAが初めてボストンで開催されました。エーテル麻酔下の手術を公開したエーテルドームがボストンのマサチューセッツ総合病院(MGH)にあることから、米国の麻酔の発祥地として知られているボストンでのASA開催が初めてであるということは少し驚きでした。ちなみに、MGHの1日の手術症例数は、600症例以上だそうです。
さて、ASA学会で気づいたことは、米国から発表される臨床研究のn数が驚くほど膨大であることです。日本では数百から数千症例を対象としたRetrospectiveあるいはコホート研究であるが、米国では数万から数十万症例といういわゆるビッグデータを対象とした研究でした。これだけの症例を集められるシステムとそれを解析できる人材など、臨床データを解析する文化が日本より根付いていると強烈に実感させられた。これは絶対に勝てない・・・、と。しかし、「“同じことをしていては”、絶対勝てない。」というのが私の本音です。
 琉球大学からは、当講座初の無作為対象研究(RCT)の結果が採択されポスター発表しました。この研究では、37症例(対照群:19例、治療群18例)で明らかな統計学的有意差が認められたという報告でした。この発表には、ASAでPress Release)されるほど注目された発表でした。そもそもこの研究は、日頃の臨床から気がついた現象をRCTで証明したということであり、つまり闇雲にやられたものではなく“狙い”を定めた研究でした。
 ビッグデータの解析は確かに凄いという印象を受けますが、我々のような地方大学ではむしろ日常臨床に目を向けて、その中で気がついたことを臨床研究で証明することが現実的だと思いました。むしろ、1日に600症例をこなさなければならない米国の病院では、1例1例から何かに気づき研究を進めるということのほうが難しいのかもしれません。今回のASAに参加して、我々の方向性がぼんやり見えてきたような気がします。
 
ASA Press release
https://www.asahq.org/about-asa/newsroom/news-releases/2017/10/acetaminophen-may-help-reduce-postoperative-shivering
 

コミュニケーションと他人の靴

2017-07-28

  最近、学会などの出張の機会が多く、革靴をよく履いていますが、よく見るとかなりぼろぼろになっていることに気がつきました。私は日頃デッキシューズなどのカジュアルな靴を履いて出勤しているのですが、さすがにあまり履かないこの革靴でも5年間も使っていればぼろぼろになってしまうんだと気づきました。
  日々靴と接している足の裏は、小さな砂が靴に入っていても気づいてしまうほど敏感なところです。履きなれない靴や誤って他人の靴に足を入れたとき直ぐに気がつくことも理解できます。
  ところで靴は英語ではShoesですが、この単語を使った熟語に“Put myself in his/her shoes”というものがあります。これは、“自分自身を他人の靴の中に入れる”という直訳ですが、正確な意味は“相手の立場にたって”ということです。現実的に、他人の靴を履くことはありませんが、社会(コミュニティー)で生きるために“他人の靴を履く”ことは重要だと思います。
  10年程前に、中学生の女の子の手術が予定されました。その子のご両親は共働きで、術前日にはどうしても20時以降にしか来院できないという状況でした。ご両親が来院しその担当麻酔科医が術前回診をしたとき、恐らくその表情や言葉使い、声のトーンなどがかなり不適切なものだったのでしょう。翌朝、患者入室間近になって病棟看護師長から私に電話があり“ご両親が昨日の麻酔科医の対応に納得できない”ということを伝えられました。私がご両親とお会いしてお話をさせて頂きましたが、かなり不満を抱いている状況でした。お母さんは涙ながらに、「昨日はどうしてもその時間にしか来院できない(できることなら前日からずっと娘に付き添いたかったが)状況であったにも関わらず、それを理解してもらえない麻酔科医に娘を託すことに決心がつかない」とおっしゃりました。これに対して、私からは、ご両親の立場に立てなかった我々の不徳を心から謝罪し、さらに全力で麻酔管理をさせて頂く約束をさせてもらい、ご了解いただいたことがありました。
 患者やその家族は治療をお願いするという“弱い立場”にあり、一方で医師は診療するということで患者からみれば“強い立場”になります。私たちは日頃から“強い立場”にいることを忘れがちになり、そのためこのようなCommunication problemを起こしてしまうことがあります。これも、“相手の立場にたって”いればこのような事態を招くことは避けられたのではないでしょうか? この例以外のコミュニケーションのトラブルも、恐らくこれで多くを回避することができたと思います。
医師・教官である私たちは、職場において常に“強い立場”にいます。無意識に発する言葉、表情、声のトーンあるいは歩き方などを含めた振る舞い、これら全てが“弱い立場”の人に影響を及ぼしてしまいます。“強い立場”の私たちこそ、常に“相手の靴を履いて”行動しなければいけないとこの頃思いました。

 

麻酔”道”

2017-07-02

久しぶりのブログ更新です。ここ最近の話題として、若い方々の活躍に目覚しいものがあります。例えば、男子卓球界の張本選手(13歳)は、世界ランク上位の選手に堂々と戦いを挑み、多くの勝利をおさめています。これまであまり注目されていなかった“卓球”に、光が当たりその競技人口も激増しているようです。また、将棋界の藤井4段(14歳)は、今や時の人になっており、連日メディアに取り上げられています。小学生の頃、将棋にはまった時期があり、将棋のプロを目指す“奨励会”について情報を集めたこともあった(結局、才能がまったくなかったので早々にあきらめました)ので、個人的にも興味をもって眺めています。私も小さい頃将棋道場に時々通い、そこにいる大人たちと将棋を指していた頃がありましたが、藤井君は毎日道場に通い将棋にのめりこんでいったようです。藤井君が通っていた将棋道場には、このような言葉が壁に張られているそうです。「弱者をなめず、強者にひるまず、自分に厳しく」・・・、これは柔道や剣道などの“道(どう)”に共通の心構えであり、将棋“道”にも当然当てはまるものです。
この言葉を見たときに、琉球大学医学部麻酔科の初代教授 奥田佳朗先生が当時の朝のカンファレンスで私たちに話した内容を思い出しました。「ほかの人の麻酔を観て、“こいつの麻酔はうまい”と思ったら、実力はかなり離れていると思いなさい。“俺はこいつと同じくらい”と思ったら、相手のほうが格段にうまいと思いなさい。“こいつは俺より少し下手だ”と思ったら、相手と同程度と思いなさい。」という内容でした。これは、「弱者をなめず、自分に厳しく」に相当する、まさに麻酔“道”だと認識しました。
では、麻酔“道”のなかで「強者にひるまず」は、何に相当するのでしょうか?これは私個人の考えですが、この「強者」とは麻酔管理困難症例に相当すると思います。いろいろな合併症を持って、しかもその合併症が十分にコントロールされていないような症例です。このような症例があたると、いろいろ考えなければいけないし、準備(教科書や文献を読む、機器の準備など)も多くなります。麻酔導入も恐る恐るしなければならないかもしれません。維持も油断できず気を張って麻酔管理をしなければなりません。しかし、自分の実力を信じ、理論に基づいた計画と周到な準備で立ち向かうこと、つまり「強者にひるまず」です。つまり、藤井4段が育った将棋道場に張られている「弱者をなめず、強者にひるまず、自分に厳しく」は麻酔“道”に通ずるものであり、プロの麻酔科医として持たなければならない意識だと思います。
これまでは、「最近の若者は・・・・」というフレーズはNegativeなイメージでしたが、昨今は「最近の若者は大したものだ」というPositiveな意味合いになってきました。彼らの活躍で、久しぶりに奥田先生の教えを思い出しました。
 

集団をみる時代においても”個”が重要

2017-02-12

Evidence-Based Medicine(EBM)が叫ばれて久しいですが、先日のある国際シンポジウムで自治医科大学の永井良三学長が「EBMの時代になったことで、“個”を忘れる時代になってしまった」と述べたようです。集団における傾向を統計学的解析によってその偶然性を否定できた場合、それをEvidenceとし医療におけるDecision-Makingに用いる・・・これがEBMと呼ばれています。つまり、集団から得られたデータを個人に当てはめるということになりますが、これに対し永井先生は「集団について語れても、個人については何も言えない。統計的に有意差があっても、臨床的に意義があるかは別問題」と述べており、私もこの意見に大賛成です。
医学部に入学した際に最初に「病を診るのではなく人(個人)を診なさい」ということばを教えられました。この精神は医師のみならず医療関係者は決して忘れてはいけないことだと思っています。しかし、EBM時代の医療は、個人の病気を集団のデータに当てはめ、個に関わらず最も有効と考えられている処置を提供することを良しとしているようにおもえてなりません。本当にこれが良いことなのか、我々はじっくり考えなければならないと思います。
患者をもつ主治医は、患者が退院する際にその症例ごとに退院サマリーを書き上げます。この作業は、個々人の経過をサマリーとして書き上げるものですが、EBM時代に個を顧みる重要な作業であり、いわば”ちょっとした症例報告”のようなものです。麻酔科は毎日症例をこなしていきますが、この”退院サマリー”のように症例ごとに麻酔症例を振り返る機会はあるでしょうか?そのような機会は極めて少ない様な気がします。全ての麻酔症例を振り返る必要が必ずしもあるとは思いませんが、非常にうまく管理できた重症症例や合併症を呈した症例などはできる限り顧みる必要があります。それも文章化して顧みる必要があると思います。つまり、症例報告です。症例ごとに関連する多くの文献を調べ、理論的に病態や対策などを顧みることができる症例報告、これこそ”病を診るのではなく人(個人)を診る”ことができると私は信じています。
先代の須加原教授(現:琉球大学副学長・理事)が、”症例報告は患者さんへの恩返し”とよく仰っていました。患者さんから学んだことに対する恩返し、まさにその通りだと最近思うようになりました。「集団をみる時代においても”個”が重要」。このスローガン、気に入っています。

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