2023-10-17
アメリカ麻酔学会の2日目が始まりました。
連日、朝晩は我々にとっては寒いサンフランシスコです。
サンフランシスコといえば”霧”ですが、本日の朝はユニオンスクエア付近も霧でビルの上層階が見えなくなっていました。
何だか不吉な予感・・・・。
そのような中、朝8:30から新里先生御一行が、羽賀先生のポスターを貼ってくれました。
羽賀先生は、残念ながら頸椎ヘルニアで渡米がドクターストップとなったので、私が発表することになりました。羽賀先生が、ASAからの指示通りの大きさで作成してくれましたが、もっと大きく作っても問題なかったような気がします。文字の大きさや太さは完璧!!
日本人のポスターでは、インチとセンチを間違えてかなり小さめのポスターを作製した人もいましたがそれもご愛嬌!
新里先生のe-posterと異なり、羽賀先生の発表(代役:垣花)は約90分間、作成したポスターの前に立ちポスターを見に来た人にデータの説明をしたり、質問に答えたりするというシステムです。90分間も立ち続けるのはなかなかしんどいので、他のポスターを歩いて回り自分の興味ある発表者には質問したり意見を述べたりしておりました。羽賀先生のポスターに帰ってきたときにポスターを読んでいる人がいたら、”Do you have a question for me?"と声をかけDisucussionするということを繰り返していました。質問の内容は、帰国後に皆さんにお知らせします。
この方はブラジルの麻酔科医でした。
2023-10-16
2023-10-15
2022-08-24
2019-10-22
久しぶりの“まなブログ”への投稿です。この1ヶ月のラグビーワールドカップの盛り上がりは、何といってもJAPANの大活躍のおかげです。特にスコットランド戦の後半残り20分の攻防(ほとんど守りであったが)は痺れました。全ての選手が全力で相手にぶつかり、全力で押し込み、全力で走り、全力でラグビーボールを奪いに行く姿勢に心を打たれました。
ラグビーには、“One for All, All for One”という言葉があります。それぞれのポジション(フッカー、プロップ、ロック、フランカー、ナンバー8、スクラムハーフ、スタンドオフ、センターバック、ウィング、フルバック)にはその役割がはっきりしておりそれぞれがその役割を担うことになりますが、実際にはポジションとは別にお互いの役割をカバーし合うということも意味していると思います。“俺はフッカーだから、トライはウィングに任せる”などということはあり得ないのです。
最近、国の政策として“働き方改革”が掲げられていますが、医療界にもその波が押し寄せています。医師の“働き方改革”の手段としてコメディカルの活用が推奨されています。つまり、医師でなくても出来ることはコメディカル(看護師、準看護師、臨床工学士、臨床検査技師など)に任せ、医師の負担を軽減するということです。これはラグビーに例えると、医療界の各ポジションへの仕事の分配(Work Sharing)によりそれぞれの役割をはっきりさせることです。この状況で注意が必要なのは、役割をはっきりさせた場合に果たして医療が円滑に進められるのか、最終的には患者が損をしないのかということです。“これは臨床工学士の仕事だから、医師の私は関係ない”ということになってはいけないと思います。もちろんWork Sharingは進めるべきことではありますが、絶え間なく(24時間、365日)全てのコメディカルや医師が病院にいることなど現実的にあり得ません。私の考え(私見)としては、コメディカルが何らかの理由により居ないことにより患者の健康が脅かされる可能性がある場合、それを出来る範囲で医師が補うためにある程度看護師の仕事もでき、臨床工学士や臨床検査技師などの知識も持ち合わせるべきであると考えています。
琉球大学医学部附属病院麻酔科では、麻酔器の整備(ソーダライムの交換、フローセンサーや酸素濃度計の交換など)、人工呼吸器や人工透析回路の組み立て、血液ガス分析装置の電極交換、グラム染色やROTEMなどの検査、MEP電極の装着や測定等、麻酔科医局員ができるような教育を後期研修医に提供しています。これによりお互いをカバーでき、結果として患者が損をしないという状況を提供できていると思っています。
これから医療界に押し寄せるWork Sharingの波の中で、“One for All, All for One”の精神は決して忘れてはいけないことだと私は思います。ラグピーJAPANの活躍をみてそう思いました。
2019-03-14
いかなる生物も誕生時から肉体的にも精神的にも成長し、さらに主に肉体的に老化し死に至ります。精神的な部分については、体が衰えても精神的にしっかりされた方も多くいらっしゃることから死ぬまで成長を続けられると考えられます。このことから、誰しも肉体的にも精神的にも未熟な時期があることは当然なことでしょう。では、ベテランの方々が常々口にする “最近の若い者は・・・”というフレーズですが、そもそも当然若者であった時期を過ごしてきたベテランの方々は、かつてその先輩方にどのように表現されていたのでしょうか?
先日、琉球大学医学部附属病院臨床研修センター主催の「RyuMIC指導医養成セミナー」に、責任者として参加してきました。このセミナーでは、はじめに受講生(卒後7年目以降の指導医)に対し「研修医指導における悩み」をKJ法という手法を用い表現させています。私はこの十数年にわたりタスクあるいは責任者として関わってきたので、「研修医指導における悩み」を経時的に見ることができるという貴重な経験をさせてもらっています。今年も悩み多き指導医が持つ「悩み」を眺めていると、「雑用を嫌がる」、「早く帰りたがる」、「研修医にやる気が無い」、「モチベーションが低い」など、研修医に対する“悩み”が例年通り多くみられました。その時、ふと気づいたことがありました。この指導医の“研修医に対する悩み”ですが、指導医養成セミナーが始まったころの十数年前から「研修医にやる気が無い」、「モチベーションが低い」などは多く見られました。つまり、ある種の普遍性を持っているということでしょうか? 考えてみると、今年の受講者の殆どが十数年前には研修医だったはずであり、つまり彼らも研修医の頃は、この指導医養成セミナーに参加していた指導医から「やる気が無い」、「モチベーションが低い」と思われていたということです。そこで私のほうから今年の受講生に、「皆さんが研修医の頃の指導医も、あなたがたに同じような悩みを持っていたのですが、皆さんが研修医のときに「モチベーションが低かった」とか「やる気がなかった」という方はいらっしゃいますか?」と尋ねたところ、そのような方は誰もいませんでした。個別に尋ねてみても、「やる気はあった」し「モチベーションが無いわけではなかった」という答えでした。
これは、かつて研修医であった指導医がその時代から成長をしたということ、あるいは研修医の頃の若者が自分の「やる気」や「高いモチベーション」を表現することが不得手であり指導医に伝わっていない可能性が考えられます。いずれにしろ、研修医も決して「やる気がない」わけではないし、「モチベーションが低い」わけでもないということのようです。我々指導医としては、個人差はあるにしても彼らの持っている「やる気」や「モチベーション」を引き出してやることも仕事のひとつだということでしょう。
“最近の若い者は・・・”と思っているあなたは、かつてはそのように思われていたということに気づいていますか?
2018-09-23
今年の夏は全国的に猛暑となり、おかしなことに沖縄が避暑地になってしまいました。そんな猛暑の時期の少し前に開催されたFIFAワールドカップサッカーロシア大会を終えて3ヶ月が経とうとしています(もう、忘れてしまったかもしれませんが・・・)。我が日本代表チームは、世の中の評価(期待?)を裏切り、予選でコロンビアを倒し決勝トーナメントへの勢いをつけてくれました。このロシア大会の2ヶ月前に日本代表監督がハリルホジッチ氏から西野朗氏に電撃的に交代され、世界的には日本代表が予選トーナメントを突破するのは困難と考えられていました。
ハリルホジッチ氏から日本代表監督を引き継いだ西野朗氏は、早稲田大学サッカー部出身で在学中に日本代表に選出された輝かしい選手時代を送っていますが、それよりも私は指導者としての力量に注目していました。1996年のアトランタオリンピックで当時の日本代表(前園、中田英など)がブラジル代表を破った“マイアミの奇跡”というものがありましたが、そのときの日本代表監督も西野朗氏でした。1998年から就いた柏レイソル、2002年からのガンバ大阪でもJリーグ優勝やナビスコカップ優勝など、輝かしい実績を挙げていました。この実績を知っていたので、ハリルホジッチ監督解任後に西野朗氏が監督に就任したとき、個人的には期待していました。ですので、コロンビアを破った時には“やっぱり西野朗氏は正解だった”と確信しました。
なぜ西野朗氏はこんなに好成績を挙げるのでしょうか?西野朗氏の大学時代の後輩である日本代表元監督の岡田武史氏が、ワールドカップロシア大会のテレビ解説の中でこのようなことを話してくれました。「皆さんは西野さんは“(運を)もっている”といいますが、確かに西野さんはもっていると思います。でも、西野さんが常に“もっている”と評価されるのは、いつも何かにチャレンジしているからです。チャレンジしないと何ももつことはできないんです。」
この解説を聴いて、いろいろなことが腑に落ちました。ただ日常の時間を過ごすのではなく、目標を持ってそれにチャレンジする・・・・、チャレンジしないと何も達成できない・・・。
皆さんの周りに“もっている”人がいると思います。その人も常にチャレンジしていると思います。医局員の皆さんにも、チャレンジ精神を忘れずに“もっている”人になってもらいたいと思っています。
2018-05-29
2018-04-30
「人の価値って何だろう?」と、ふと考えることがありました。その人の道徳観?。人間性?、学歴?、収入?、社会的地位?・・・・。もし、人間の価値を示すパラメータがあったとしたら、そのパラメータを見て「自分は価値ある人間だ。うれしい」と本人は思うのでしょうか?
なぜこのようなことを考えたかというと、ポリクリの学生さんから「なぜ麻酔科医になったのですか?」と尋ねられたからです。このときいつも答えるの内容は「病院で麻酔科医がひとりいなくなると約500症例の手術に対応できなくなる。これは他の科の医師が変わりに出来ないことだから、麻酔科医の価値はより高いことに気がついたから。」というような内容で答えていました。そういうわけで「価値とは?」と考えることがありました。
学歴、収入あるいは社会的地位の価値は、それぞれの比較対象より高いか低いかということがそのパラメータになります。つまりいわゆる相対的比較ですので、ナンバー1になることが究極かもしれません。道徳観や人間性などはそれにスケーリングがないので、絶対的比較の対象となります。つまり、そのパラメータはオンリー1であるかどうかだと思います。
ちなみに、2003年にSMAPの「世界にひとつだけの花」が発売され、その中の“ナンバー1にならくてもいい、もっともっと特別なオンリー1”という歌詞が印象的ですが、私は2001年のノーベル賞を受賞した野依良治先生の受賞インタビューの記事でこのフレーズをみました。このフレーズは、そもそも京都大学の考え方のようですが・・・。
麻酔科医個人の価値は、医療界の中でやはり“オンリー1”的なものだと思います。では、麻酔科医の集団のひとつである麻酔科学教室の価値はナンバー1でしょうかそれともオンリー1でしょうか? さらに大きなもの、たとえば病院や大学の価値はどちらでしょうか? もっと大きな視点で考えると、自治体(市町村)や国の価値はどちらで判断すべきでしょうか? その答えを出すのはなかなか難しいし、「人の価値」を決めることはさらに難しいことだと思います。
ただ、言えることはナンバー1になることはかなり難しくこれは限られたものですが、オンリー1というのは不可能なことではありません。教授という立場ですから、教室の価値を高めるあるいは価値ある方向性に進めることは私の責務になります。では、我々はどこに進むべきなのか、やはりオンリー1を目指すべきだと思います。 その戦略についての私の考えは後日述べたいと思います。
2017-11-26
今年の日本臨床麻酔学会(東京)の中で、専門医共通講習のひとつである「医療安全」の座長をさせて頂きました。その際に、「医師」と「患者」との契約というのが、「準委任契約」であるということを知りました。そもそも「準委任契約」というものがどういうものかわからなかったので調べてみました。例えば、請負契約というものがありますが、これは請負人が負う義務は「仕事の完成」です。したがって、仕事が完成しなかった場合には債務不履行ということで損害賠償請求の対象となります。一方、「準委任契約」では、受任者が負う義務は「善良な管理者の注意を持ってその業務にあたること」だそうです。例えば、患者さんは病気を治してほしいということで受診しますが、もし仮に患者さんと医師の契約が請負契約だと、「仕事の完成」つまり「病気を治すこと」が出来なかった場合には損害賠償請求されます。実際には全ての患者が完治することはありませんが医師が損害賠償請求を求められないのは、請負契約ではないからです。では、「準委任契約」に負われている「善良な管理者の注意を持ってその業務にあたること」とはどういうことでしょう。これは善管注意義務ともいわれていることで「普通に要求される注意義務」ということのようです。つまり、医師とっての「普通に要求される注意義務」ということです。麻酔科的業務で「普通に要求される注意義務」とは何でしょうか?例えば、術前回診では既往歴、身体所見、検査値の把握ということになります。既往歴で脳梗塞があった場合、術前の症状の把握や神経学的所見も麻酔科医の「普通に要求される注意義務」に当たると思います。麻酔管理中はあまりにもたくさんの注意することがあります。例えば、病棟で確保された点滴ラインが漏れていないか? 投与薬物とその投与量(稀釈濃度)の確認、気管挿管確認事項として胸郭の動き・チューブの曇り・EtCO2・呼吸音聴診、術中体位による神経圧迫の有無の確認、抜管前の自発呼吸(換気量、回数)・意識の有無・指示動作可能か・反射があるか、抜管後の呼吸状態など、多くのことを注意しなければなりません。さらに、その証拠としてそれらの所見を麻酔チャートに残すということも重要なことです。これらの記載が無い場合には、注意義務がなされていないと判断されます。
そして、私たちが気をつけなければならないことのひとつに、薬物の適正使用です。適応外使用や禁忌症例への使用は「普通に要求される注意義務」違反になるかもしれません。つまり、添付文書の内容を把握することは私たちの「普通に要求される注意義務」であり、適応外使用や禁忌症例への使用は「普通に要求される注意義務」違反となるかもしれません。
今回の講習を聴いて、ふとこんなことを思ってしまいました。
2017-10-29
2017-07-28
2017-07-02
2017-02-12
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